家族も職場も、 行き先が見えないと迷い出す

こんばんは。
どっこいしょの知哲です。

お盆が終わり、日常が戻ってきました。

朝ごはんを用意して、
洗濯物を干して、
家族を送り出し、
仕事や家事を片づける。

いつもの暮らしが始まると、さっそくこんな言葉が飛び交います。

「早く準備して」
「使ったものは戻して」
「何度言ったらわかるの」
「それ、昨日もお願いしたよね」

言っていることは、どれも間違っていません。

むしろ、家族のことを思い、暮らしをきちんと回そうとするからこそ出てくる言葉です。

それなのに、正しいことを言えば言うほど、相手は動かなくなる

そんな不思議なことが、家庭でも職場でも起こります。

 

人は「正しさ」だけでは動かない

家族が片づけてくれない。
子どもが約束を守らない。
職場で頼んだことが伝わらない。

そんなとき、私たちは「どうしてわかってくれないのだろう」と思います。

けれども、相手から見れば、

「なぜ、それをしなければならないのか」
「何のために言われているのか」

という行き先が、見えていないのかもしれません。

たとえば、

「靴を揃えなさい」

とだけ言われれば、子どもには、また注意されたという記憶が残ります。

けれども、

「次に玄関を使う人が、気持ちよく通れるように揃えよう」

と伝えれば、その行いが誰かへの思いやりにつながっていることが見えてきます。

同じことをお願いしていても、意味がわかると、人の受け取り方は変わります。

 

行き先が見えれば、役割は変わる

船に乗っている人たちが、それぞれ違う港を目指していたら、どれほど一生懸命に櫂を漕いでも、船はうまく進みません。

家庭も、職場も同じです。

家庭は会社ではありません。

けれども、複数の人が一緒に暮らし、それぞれが役割を持ち、支え合っているという点では、一つの小さな共同体です。

「きれいな家にする」ことだけが目的なら、片づけは誰か一人の仕事になってしまいます。

けれども、

「みんなが気持ちよく休める家にしよう」

という行き先を共有できれば、片づけは、家族の暮らしを守るための役割になります。

食事をつくることも、
洗濯をすることも、
働いて収入を得ることも、
子どもの話を聞くことも、

すべては、家族が安心して暮らしていくためにつながっています。

目の前の作業だけを見れば、終わりのない雑用に思えるかもしれません。

けれども、その先にある願いが見えれば、いつもの仕事にも意味が戻ってきます。

 

「何のために」を、時々確かめる

意見がぶつかったとき、私たちはすぐに「誰が正しいか」を決めようとします。

しかし、正しさを競う前に、

「私たちは、どんな家庭にしたいのだろう」
「この仕事で、誰を喜ばせたいのだろう」
「みんなで、どこへ向かいたいのだろう」

と問い直してみる。

すると、対立していた相手が、同じ方向へ進もうとしている仲間に見えてくることがあります。

仏教の智慧を経営に生かす「佛心経営マンダラ」では、組織を育てる最初の智慧として「誓願」を掲げています。

誓願とは、難しい言葉で飾った目標ではありません。

「私たちは、何のためにここに集まり、どこへ向かうのか」

その根本にある願いです。

これは経営者だけに必要なものではありません。

家事や子育てを担う人にも、
誰かと一緒に働く人にも、
地域の活動に関わる人にも、
そして、自分の人生を整えたい人にも関わる智慧です。

わが家は、どこへ向かっているのだろう。
私は、この仕事を通じて、誰を喜ばせたいのだろう。

すぐに立派な答えが出なくても構いません。

まずは今日、目の前の人と一緒に目指したい風景を、一つ思い浮かべてみてください。

行き先が見えると、いつもの家事も仕事も、少し違って見えてくるかもしれません。

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