「いただきます」は、心の深呼吸

こんばんは。
どっこいしょの知哲です。

忙しい日の食事は、ずいぶん器用です。

メールを読みながら。
テレビを見ながら。
明日の予定を考えながら。

口はご飯を食べていますが、心は別の場所で働いています。

食べ終わったあと、
「あれ、何を食べたっけ」
となることさえあります。

お腹には入った。
けれども、いただいた気がしない。

そんな食事が増えていないでしょうか。

 

◆食事は、燃料補給だけではない

食べることは、体へ栄養を入れるだけの作業ではありません。

土を耕した人。
野菜を育てた人。
魚を獲った人。
運んだ人。
売った人。
料理をした人。

目の前の一皿には、数え切れない命と働きが重なっています。

だから日本では、食べ始める前に手を合わせ、
「いただきます」
と唱えてきました。

それは単なる食事開始の合図ではなく、
「たくさんの命と働きを、私の命にいただきます」

と、心を食卓へ戻す言葉です。

 

◆お寺の食事にも、立ち止まる時間がある

お寺では、食事の前に「五観の偈」を唱えることがあります。

この食事が、どれほど多くの手を経て届いたのかを考え、自分はこれをいただくにふさわしい行いをしているだろうかと振り返ります。

毎日の食事で、長い偈文を唱えるのは難しいかもしれません。

けれども、手を合わせる十秒ならできそうです。

箸を持つ前に、一度だけ呼吸をする。
湯気を見る。
香りを感じる。
作ってくれた人を思い出す。

その十秒で、食事は「済ませるもの」から「いただくもの」へ変わります。

 

◆まず、一口目だけ

毎食ゆっくり食べようと決意すると、忙しい日には続きません。ですから、最初の一口だけで十分です。

口へ運び、よく噛み、味わってから、次の一口へ進む。

一口目を丁寧にいただくと、急いでいた心と、食卓にいる体が、少しずつ同じ場所へ戻ってきます。

心と体が揃う暮らしは、特別な健康法から始まるとは限りません。

今日のご飯を、今日の自分が、きちんといただく。その当たり前の中に、体を整え、心を喜ばせる智慧があります。

今夜も食卓に手を合わせて、どっこいしょ。

 

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