お彼岸は、亡き人のためだけの日ではありません

こんばんは。
どっこいしょの知哲です。
9月も半ばに入り、秋のお彼岸が近づいてきました。
2026年の秋分の日は、9月23日です。
「そろそろ、お墓を掃除しなければ」
「お供え物を用意しなければ」
お彼岸というと、やるべきことが先に浮かぶかもしれません。
けれども、お彼岸は、亡くなった人のためだけにあるのでしょうか。
◆「彼岸」と「此岸」
仏教では、迷いや苦しみのある私たちの世界を「此岸(しがん)」、迷いを越えた安らぎの世界を「彼岸(ひがん)」と表します。
つまり、お彼岸は、あちらの世界にいる誰かへ思いを向けると同時に、今ここにいる自分の生き方を見つめる時間でもあります。
お墓の前で手を合わせると、不思議と普段とは違う言葉が心に浮かびます。
「私は、ちゃんと生きているだろうか」
「あの人が見たら、今の私をどう思うだろう」
「もう少し、家族を大切にしなければ」
亡き人は直接は何も言いません。
だからこそ、静かにお参りをする中で、自分の本当の声が聞こえてくるのかもしれません。
◆会いに行くと、思い出すこと
お墓参りは、お願い事をしに行く日ではありません。
「おかげさまで、元気にしています」
「こんなことがありました」
「心配をかけましたが、何とかやっています」
亡き人へ、今の自分を報告する日です。
そして、その人が残してくれたものを思い出す日でもあります。
口癖。
得意だった料理。
仕事への向き合い方。
叱られたこと。
何気なくもらった優しさ。
命は終わっても、その人の言葉や振る舞いは、今を生きる私たちの中に残っています。
◆お墓へ行けなくても、できること
遠方に住んでいたり、仕事や体調の都合があったりして、お墓参りへ行けない人もいます。
行けないからといって、ご縁がなくなるわけではありません。
写真の前で手を合わせる。
名前を声に出す。
好きだった食べ物をお供えし、おさがりをいただく。
家族に、その人の話をする。
思い出すことも、立派な供養です。
そして、受け取った優しさを、今そばにいる誰かへ手渡す。
亡き人への感謝が、生きている人への行動に変わったとき、その人の命は、私たちの暮らしの中でもう一度働き始めます。
お彼岸は、ご先祖様のところへ出かける日。
そして、自分が大切にしたかった生き方へ、もう一度帰る日です。
手を合わせ、心の向きを確かめて。
この秋も、ゆっくりどっこいしょ。
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