見えていなかった世界

連日の雨で、洗濯物がなかなか乾かず困っています。
どっこいしょのイズミです。
先週は、思いがけない集中豪雨に見舞われました。
ここ愛知県でも、あちらこちらで冠水し、
自然の恐ろしさを肌で感じる出来事となりました。
さっきまでいつも通りだった景色が、
雨の降り方ひとつで、あっという間に変わってしまう。
「こんなことになるなんて」と思っている間にも状況は変化し、
その時々で判断しながら行動しなければならず、
決断の大切さを改めて感じました。
自然の前では、人間の力ではどうにもできないこともある。
そんなことを感じながら過ごしていたある日、
娘が学校で体験してきたことを話してくれました。
お札(さつ)の秘密
学校で、目の不自由な方が日常をどのように感じているのかを知るために、目隠しをして歩く体験をしたそうです。
一緒に歩いて誘導してくれる友達と、階段を上ったり、下りたり。
「見えない」ということが、実際にはどんな感覚なのか。
いつもとは違う世界を体験することで、
その大変さに気づいたようでした。
そんな話を聞いていると、
「お母さん、お札(さつ)ってどうやって、いくらなのかわかると思う?」
と娘に聞かれました。
そう言われてみると、私自身、普段何気なく見て触っているお札に、
「どこに、どんなふうに、金額がわかるようになっているのか」なんて、考えたこともありませんでした。
そこで、娘と一緒にお札を手にとって確認してみることにしました。
目を閉じて、手から伝わる感触に集中してみる。
実際にやってみると、同じ方向にお札がそろっていれば、大きさなどでなんとなく判断はできます。
でも、向きがバラバラだったり、一枚だけではそれがいくらのお札なのか判別ができないのです。
ちなみに、千円札、五千円札、一万円札は、お札のふちにスジが入っており、そのスジがはいっている場所の違いで、そのお札がいくらのお札なのかがわかるようになっているということでした。
(お時間のある時に、ぜひ探してみてください。)
見えているようで見えていない世界
二人であれこれ触りながら、ふと思いました。
私たちは、見えているものだけで
「わかったつもり」になっていることが、
実はたくさんあるのかもしれないな、と。
目が見える私にとっては当たり前のことも、
誰かにとっては当たり前ではない。
自分には関係がないと思っていたことも、
少し立場を変えてみると、
今まで見えていなかった大変さや工夫が見えてくる。
先日の豪雨のことも、娘とのお札の話も、
一見まったく違う出来事なのですが、どちらも私に、
「自分の見えている世界だけで判断しないこと」
を教えてくれたような気がしています。
自分だったらどうだろう
仏教には「慈悲」という言葉があります。
相手の立場に心を寄せ、
その人の苦しみや困りごとを少しでも理解しようとすること。
難しいことのように聞こえますが、
もしかすると、その始まりは、
「自分だったらどうだろう?」
と、一度立ち止まって考えてみることなのかもしれません。
自分の見えているものだけを「当たり前」と思わず、
少しだけ視点を変えてみる。
すると、今まで気づかなかったものが
見えてくることがあります。
想像力をもって観察する
人への感謝も、怒りの感情も、
もしかしたら同じなのかもしれません。
目の前にある出来事だけを見るのではなく、
その人の見えていないところにある思いや事情を想像してみる。
そうすると、「当たり前」と思っていたことに、あらためて感謝できたり、
腹が立っていたことも、少し違った角度から見ることで、
「そういう事情があったのかもしれない」と
少し心に余裕が生まれることもあるのかもしれません。
「自分が見えているものだけが、すべてではない」
そう思えるだけで、
目の前の出来事の受け止め方が、
ほんの少し変わるような気がします。
娘との何気ない会話から、
私のほうが教えてもらったような気がした出来事でした。
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